和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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神楽神社

神楽神社 かぐらじんじゃ

  • 長澤 好晃
  • 646-0025
    田辺市神子浜2丁目1番号
  • 0739-22-0155(闘鶏神社)
  • (主祭神)天太玉命 (配祀神)天宇受売神 火産霊神 妙見宮 毘沙門天 不詳1神

相殿

11月23日

歳旦祭(1月1日) 火焚神事(左義長1月15日) 七五三神事(11月15日) 岩戸別神社・妙見宮(祭 1月2日)

大精進御宿帳〈元禄元(1688)年より現在迄〉 棟札

本殿(流造 5,0屐 拝殿(入母屋造 24,8屐 長床・鈴門(入母屋造 26,5屐 社務所(入母屋造 45,5屐 神庫(神輿蔵 9,72屐 手水舎(木造銅板葺 1,62屐 鳥居(両部鳥居)

5,248

神子浜町 文里町 東山町 上浜田 学園

創祀は社伝に宝亀6(775)年9月勧請という。
江戸時代は社名を大梵天王社というように、両部神道で神子浜村の産土神として崇敬された。
慶安2(1649)年、社殿は東南向、境内は14間に7間、鳥居は2間四方とあるように、すでに特徴のある両部鳥居(俗に六本鳥居)であった。
その後、村民の信仰から境内も拡張され『紀伊続風土記』に「境内山周百四十間」とある。
明治元年の神仏分離から、明治4年社名を神楽神社と改称(この命名は詳ではないが、村名の神子浜の故事による神子、すなわち神楽巫女の住居地に因んだものと思われる)。
明治6年4月、村社に列格、明治10年3月、村内の神社(若宮神社・岩戸別神社)を合祀して境内社とした。
明治44年11月、神饌幣帛料供進社に指定、大正2年11月、社殿を改築し境内社を相殿にする。
翌大正3年2月、会計法適用社に指定された。
大正14年9月には境内を拡張し、社殿の位置を替え拝殿を新築した(俗称を六本木)。
(例祭)
神楽神社は、以前は大梵天王と稱したというが、神楽神社と改めた由来は定かでない。
宵宮祭は、11月22日午後4時から神前で執行される。
引続いて神幸渡御式が行われ、当宿主、総代、町役員等供奉して神輿をお宿へ移し御宿祭を執行する。
神輿は当宿にて泊る。
例祭は11月23日の正午、当宿にて渡御式を斎行し、当宿から神楽獅子の先祓いで子供神輿4基が続き、大榊、絹笠、紅白旗、日月旗、神輿、殿(トノ)、上臈(ジョウロウ)、御幣、祈願者約100名の行列で約2時間にわたり、氏子町内を練り歩き祓い清め廻る。
渡御に供奉するトノとは、5、6才の男児4名で白の裃を着て御幣を持つ。
ジョウロウは、5、6才の女児4名で振袖に赤の打掛けを羽織り御幣を持つ。
殿、上臈、共に当宿の親せき縁者か近所の子供がつとめる。
行列の宮入り後は、神前式執行。
巫女の里神楽奉納、湯立神事が行われる。
続いて獅子保存会々員による獅子神楽、幣の舞、寝獅子、太刀の舞が奉納される。
獅子舞奉納後は、境内で投餅が行われ本祭行事を終えるが、この後、神前にて来年度の当宿、副当宿が決まり引継がれる。
神子浜と学園で4回、文里と東山・上浜田は夫々2回の割で輪番制になっていて、例祭の神饌はお宿が全て献ずる。
引継ぎは、お神酒と大根の輪切りに塩をつけたものを肴にして献上し、また当宿主も食し決定する。
当宿は、12月1日の冬神楽祭、7月1日の夏神楽祭、11月23日の例祭の神事をつとめる。
冬神楽祭、夏神楽祭には、巫女神楽と湯立神事が執行される。
(社叢)
本殿周囲には、昭和天皇御成婚御下賜楠他、楠、馬目樫、なぎの木、山桃の巨木等古木が繁茂し、鎮守の森を形成神厳無比である。
神社境内には波蝕により出来た、国指定天然記念物が存在したが、崩落の危険として昭和58年取り壊された。
今はその壁面に、田辺市によりレプリカが取り付けられている。

写真情報

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