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稲荷神社(西向)

稲荷神社(西向) いなりじんじゃ

  • 深美 芳治
  • 〒649-4122
    東牟婁郡串本町西向643番地
  • 0735-66-0626(有田神社)
  • 倉稲魂命 市杵島姫命 金山彦命

7月22日

本殿(10,875屐 鳥居(木造 1基 石造 1基)

198

串本町西向上ゲ地地区・原町地区

創立年代由緒不詳なれど、社伝によれば、「元弘元(1331)年後醍醐天皇が鎌倉幕府と戦った時、下野国小山の城将小山実隆幕命により、熊野の動向監視のため派遣せられて当地に居住するに当たり、守護神として祭祀されたと伝えられる、小山氏住居跡より約300m西南の山腹に位置し、樹令約400年・500年の樟の大樹数本が現存する、祭典日は小山家の類継者の参詣を得て行われる」とある(現在は中止している)。
稲荷神社を創建したと伝える小山三郎実隆について、『紀伊続風土記』に「其祖を小山三郎実隆という、実隆は安宅荘久木村小山助之進の祖石見守経幸の弟なり、文保二年左兵衛尉に任す、又新左衛門とも称す、元弘元年鎌倉の命を奉じて兄経幸とともに一族十三人、従兵三百余騎を率ひて南方海辺を守護せん為に此地に住すという」とあり、西向村に居住することとなる。
実隆の孫隆春の代となると、同じ『紀伊続風土記』に「隆長の子隆春という五郎左衛門と称す南北一統の後、湯川氏に属す、應永元年山王権現を池之口村に勧請す、今に至りて当社祭日には当家を以て左の上座とす」とあり、「池口村の条」には「土人伝えいう小山氏山王を信仰して領地の内今の社地を見たて造営し一族共に氏神とせし社」として「山王権現三社」を記している。
池口村に勧請した山王権現は、南北朝統一の後の戦乱のなくなった平和の時の事で、一族の安泰・隆昌を願って、信仰する山王権現を日吉神社より勧請領地の良い処に新ためて一族の氏神として創建したものと思われる。
これより以前の氏神は、これが稲荷神社であったと考えられる。
社伝にあるとおり、小山氏の居住の付近に鎮座しており、小山家の守護神として、小山三郎実隆が信仰する稲荷大神を勧請奉祀したものと考えられる。
一族共同体の大本家に祀って、一族の守護神とする神を屋敷神というが、最も多く祀られるのは稲荷大神である。
このほか天王社、熊野社、神明社、八幡社、白山社、愛宕社など雑多なものが屋敷神として祀られている。
この屋敷神は、祖霊崇拝とも大いに関係があり、祖霊崇拝すなわち祖霊信仰は、我が国庶民の信仰の中心で、宗教のすべて何らかの形で、祖先の祭祀を行うことを本旨として栄えているといわれる。
当社において、祭典日、小山家の類継者の参詣を得て行なわれるとあるのも、ここより出ている。
西向村には『紀伊続風土記』によると、西向浦、古座高川原三村の産土神として「住吉社」を記しており、稲荷神社の事は記していない。
神社明細帳には「再興明治四丁亥年、明治十年七月 市杵島姫命、金山彦命合併」とあり、また『東牟婁郡誌』に「隆保父と共に大阪城に入り戦功あり、戦後浪人となり流落して西向村に帰りしか、元和封初頼宣公召出して地士と為し、(中略)拾八扶持を給せらる」とあり、江戸期氏神社なる稲荷神社も衰退していたものと考えられる。
明治4年に再興され、特定の一族の屋敷神が地域の氏神に昇格し、さらに、古座町原町にあった住吉神社は大正9年、対岸古座町古座の若宮龍王社・衣美須社と合祀され古座神社となった事より、古座町上ゲ地地区、原町地区の守護神・産土神として信仰されるようになったと考えられる。

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