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春日神社 北野神社
10月17日
本殿第一殿(木造銅板葺春日造 4,95㎡) 本殿第二殿(木造銅板葺春日造 4,95㎡) 神門(木造銅板葺切妻造 1,5㎡) 鳥居(石造明神鳥居)
10,698.6㎡
紀の川市中津川
当社の創立年月日は不詳であるが、社伝によれば、役の小角役行者葛城山を道場として、当地に籠り修行した以前より、此の地に居住した住民、中津川5姓(前阪・亀岡・西野・中井・中川)の人々が、鎌垣庄総氏神である丹生都比売命・天忍穂耳命を祀って、氏神としたのである。
後に役小角を当地に迎え道場を開くや、修験道行者の守護神である熊野久須毘命(熊野権現)天御中主命(妙見宮)を合せ祀り、修験者の守護神となしたのである。
京都大本山聖護院門跡は、年々当社前に於いて大護摩を修め、明治維新までは、聖護院より造營費を支出されたものである(明治以降はなし)。
この神社の氏子の中津川住民も粉河産土神社の祭礼には重要な役割を負持っている。
中津川祢宜座の事。
中津川村は粉河の北都葛城山隠に往古より居住せし原住民か、又は役の小角入峰の時先駆をなせし行者の一部かにして俗に前鬼の子孫と云い伝えられ、住民5姓(中井・中川・西野・前阪・亀岡)に属す。
維新前は聖護院の地士として各々官名を与えられ、他郷民と婚を通じない程持異な里であった。
役の小角(行者)は葛城入峰前、風猛山(現粉河産土神社背後の山)に古代祭祀の遺跡(粉河郷祖神丹生明神の祭祀場か?)を尋ねて修行をなし、茲より北へ屋根を伝って中津川に通じ、葛城山に入り行者堂を建て道場を開く、然して郷土の祖神丹生明神及行者の信仰する熊野権現・妙見神を祀り鎮守とする。
粉河祭礼には行者の縁故にて神霊保護の重責を負い、玉串、幣帛、弓矢、宝剣を肩にし、各神輿の先行なす。
服装は帆立烏帽子狩衣にて袴の裾をくくり上げ、足に八ツ目草鞋を履き一朝の変に備うる出で立ちにて祭典の時には、神殿に草鞋の儘上りて伺候、祓詞が奉上され祢宜役を務め、祭典が行われる。
人員は16名にて丹生社・若一社に各8名宛前駆する。
尚村役人各2名宛先導につくのである。
このことからみても中津川の住民は、粉河開拓の草分け的存在であることがわかろうというものである。
『紀伊続風土記』那賀郡粉河荘下中津河村の項には次の様に記されている。
「○産土神社 境内周五町半 若一王子 熊野権現 相殿 表行五尺二寸 裡行三尺四寸 本社二社 丹生明神 妙見菩薩 相殿 表行五尺四寸 裡行三尺八寸 末社六社 八王子社 春日社 山神社 天満宮 牛神社 稲荷社村の北十五町にあり一村の産土神なり又奥ノ院と稱して役ノ行者の開基といふ社破壊の時は聖護院ノ宮より造營し給ふ毎年聖護院三宝院先達神前にて祈大護摩修行あり祠前の石燈籠正平二十四年十一月と刻めり祠の前後行所跡と唱ふる者甚多し悉書さす行者の墓一言主の宝塔と称するものあり、又行者の碑石あり梵字を刻む行者の眞筆なりといふ漫して文字分明ならす」
(社叢)
境内には杉の大樹多く谷間の境内地は日中でも暗く感じ森厳そのものであり、歴史の古さを感じさせる。
(例祭)
例祭には氏子総出で祝い、子供等の神輿で賑わい更に投餅の行事が行われる。
又当日は境内で氏子等各々祝宴を張り親睦を暖め合うを常とする。
和歌山県神社庁 / 〒641-0022 和歌山市和歌浦南3-4-10 / 電話 073-446-5611
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