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弁第天大神 礼布大神 疱瘡大神
4月3日
当神社は、善悪を一言でお定めになられる神、天地にわたって知らないことのない神として、一言主大神をお祀りしている。
社伝によれば当社は元四郷村大字広口に鎮座していたが、天正年間(1573―1591)織田信長の兵災に罹り、その時、祠官大中臣氏は御神体を背負い下津川河流を逆上り、御避難あそばされ、この地に社殿を建て鎮め奉った、それ故に奥宮、又は奥の院と称され、今なお大神御避難の岩屋が存在するのである。
明治41年法規に依り大宮神社(広口)に合祀したが、社殿はそのまま遥拝所として存置し、年中行事は従前通り執り行われている。
昭和23年御神命に依り、現在地に御神体を御遷座申し上げたのである。
平成元年10月遷宮、本殿極彩色修復、拝殿屋替、境内地の整備などを行っている。
本殿奥には紀の国名水百選の一つに選ばれた三重の滝(聖宝の滝、不動の滝、潮の滝)があり、その眺めも素晴らしくかつらぎ八景として参拝者が多いのである。
此の滝は信仰者の修行所でも有り、又、炎旱の際雨乞い祈願の為滝壺の水をかすり鰻を捕えて御神前に這わし御祈りする行事も有り此れは最も意義ある行事として大いに尊重重要視せらる、故に此の区域内の魚類を捕える事は神罰をこうむると云われ皆は自発的に堅く禁止されている。
神社の右に在る滝を潮の滝と称し、此の滝は海潮の満ち干きが承知出来得ると称し此の名有りと云い伝わっている。
三重の滝の東の方位に在る滝を勝負の滝と称す此の滝の近くに稲荷大神を祭祀してある。
三重の滝の上の地に魚肥又は不潔な肥料を用いず牛馬を使用して耕す事が出来ない水田あり此の田地は元不動明王の御饌米用を作るが故なりと云う。
この田地を作る水路は役の行者の穿を賜いし物なりと云う不思議な耕作で、1枚岩の中央に長さ30間余の自然の水路あり、少し不足箇所があるが全部造り終れば33間となる。
これを仕上げて此の地に斎き給うと思ったが早朝婦人の叫び声あり、此れを忌みて岩壺に身を清めて衣を着け鏡岩に御姿を写し身を改め山を越えて行った故にこの岩壺を「行者の風呂壺」又身を写した岩を鏡岩と云い越えたる山を魔邪沢と称す。
こう云う意味に於て下津川の婦人は早朝に大声を出す事や、早朝の歌声も忌むと云い伝っている。
和歌山県神社庁 / 〒641-0022 和歌山市和歌浦南3-4-10 / 電話 073-446-5611
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