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天照皇大神 譽田別尊 天児屋根命
瀧王神
10月11日(10月第2日曜日)
年越神事 元旦祭 矢始め神事 粽神饌(旧端午) はながら(あられ餅) 秋祭神事(10月11日 「体育の日」の前日)
大刀(剣から刀にかわった初期の大刀) 狛犬(木刻 2基)
本殿(木造銅板葺明神造り 2坪) 拝殿 神饌所 洗浄所 社務所 御輿庫 一ノ鳥居(木造) 二ノ鳥居(木造) 一ノ橋(コンクリート) 二ノ橋(鉄筋コンクリート)
山林(2町)
西富貴
当社の由緒と創建についての詳細は不詳であるが、古老の伝承によれば、文明10(1478)年天野明神より勧請。
明治6年4月村社の指定を受ける。
なお「高野の生き神」には「当社ハ伊都郡天野村鎮座、官幣大社、丹生神社ノ天野告門ト称スル古文書ニ大御神ハ筒香藤代ノ峰(藤代ノ峰ハ大字東富貴卜大字上筒香ト奈良県吉野郡大塔村トノ三字界ヲナス高峰ナリ)ニ天降座シテ富貴ノ村ニ忌杖刺給フトアリ斬フ御経歴アリシ地ナレバ、其後勧請セシモノナラト古老ノロ碑ニ伝ヘ来レリ」と書かれている。
平成元年遷宮を執行し、末社3社(八幡、天照、天日)の改築、社務所の改築、玉垣の改修を行った。
はながら(あられ餅)神事について
享保の初め凶作相次ぎ、此地の住民皆、離散して50餘り空屋となり、田畑荒廃して耕す者なし。
猪鹿山林田園に充満し残る人民も皆亡せんとするに至り、名迫家二十九代の孫名迫伊光之を哀し、自分の所有する和歌山の武家屋敷を他人に渡し、村人達に食べ物を配り、農作物の種子をあたへ、農具を作り、生産をあたへ、離村した村人をよびもどし、10年にして旧富貴村をつくる。
村人達は伊光の恩を感じ、享保10年伊光の為に生前に社を建て名迫神社と称し、お祭している。
此の名迫伊光の多数の恩に感謝する意味と、子孫の代々につたえる意味で、毎年10月9日朝7時より8時までの間、宮に参拝した我子にはながら(あられ餅)をあたえる。
「高野の生神」
和歌山県神社庁 / 〒641-0022 和歌山市和歌浦南3-4-10 / 電話 073-446-5611
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