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熊野社 飛鳥社 鹿島神社
飛瀧神社 事解男社
10月16日
本殿(横棟高欄付銅板屋根白木造) 祝詞殿(横棟銅板屋根白木造) 拝殿(破風造瓦屋根白木造) 社務所(鉄筋コンクリート造瓦屋根) 御湯殿(瓦屋根白木造) 神輿舎(瓦屋根白木造)
境内地山林 9,000坪
野 山地 新堂 古江見 小豆島 逢井 辰ヶ浜 男浦 矢櫃
勧請年月不詳ト雖モ 往昔ヨリ大屋彦命ヲ祀リテ立神社ト稱ス 合祀スル國常立神以下ハ 高倉天皇御宇嘉應元年 左衛門尉宮崎定範 此ノ宮崎郷ヲ領シ一城ヲ築キシトキ 此ノ立神神社境内ヘ別ヒ社殿ヲ創造シ 熊野十二柱ノ神ヲ祀リ 数代崇敬セシカ天正年間 豊臣氏ノ南伐ニ當リ 定範ノ裔當時ノ城主宮崎定弘相滅シ 居城モ陥シイレラレシ其後 宮崎郷七村ノ士民戮カシ 国常立神 伊弉諾神 伊弉冊神 三神ハ立神社大屋彦神 右ノ方相殿ニ合祀シ 天照皇太神以下ノ九柱神ハ 早玉男神ノ神社ニ合祀シ 今尚攝社熊野神社ト称ス 明治六年四月村社ニ列シ 明治十二年六月郷社ニ列ス
主祭神は大屋毘古命(素盛鳴命の御子、五十猛命の別称)鎮座の年代は末詳、嘉応元(1169)年宮崎定範が宮崎郷を領し、一城を築き、この五神社境内へ別に社殿を創造し、熊野十二柱の神を祀り、数代崇敬したが、天正年間(1573―1591)豊臣氏の南伐に当り、城主宮崎定弘相滅し、居城も攻め落とされ、その兵火により当社殿も焼失した。
また、代々の紀州藩主の信仰が厚く、徳川光貞が石の鳥居を、治宝が扁額を寄進している。
なお、境内地には、ホルトノキ、ばくちの木、ヒメユズリハ、スダジイなどが繁り、蝶類のヤクシマシジミの本県における最北端の分布記録地で県自然環境保全地域として指定されている。
古伝によると、この地は有田川の衝に当り、巌下には深淵をなしていてその上に立つ数丈の奇巌を「立石」ということから考えると、立神の称はこの巌から起ったものとされ、水主神を祭ったものだろうといわれている。
和歌山県神社庁 / 〒641-0022 和歌山市和歌浦南3-4-10 / 電話 073-446-5611
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