和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

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和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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刺田比古神社

刺田比古神社 さすたひこじんじゃ

  • 岡本 高比古
  • 640-8139
    和歌山市片岡町2丁目9番地
  • 073-422-6576
  • 道臣命 大伴佐氐比古命(狭手彦命)

摂社(八幡・氷川神社) 末社(稲荷社・金毘羅社・宇須売社・稲荷社・小林稲荷社・岡公園弁財天社・春日社・天満社・祓戸社・楠龍発達社・大黒社)

10月17日

太刀光世(旧国宝) 岡の里古墳 神馬

本殿(木造銅版葺流造 9屐 拝殿(鉄筋造銅版葺 45,2屐 神饌所(木造瓦葺 32屐 宮蔵(木造瓦葺 32屐 社務所(木造瓦葺 92,5屐 舞殿(木造瓦葺 32屐 手水舎(木造瓦葺 0,9屐 神馬舎(木造瓦葺 2,8屐

2,624.62

広瀬(芦辺・岡山・片岡・紺屋・細工・島崎・鷹匠・谷・広瀬通・広瀬中・弁才天・船場・三木町・元町奉行・屋形・薮・山陰・和歌) 大新(餌差・岡円福院・岡北ノ丁・岡南ノ丁・織屋小路・北ノ新地一・北ノ新地上六軒・北ノ新地下六軒・北ノ新地中六軒・休賀・蔵小路・毛革屋・木挽・新大工・新通・新中通・数奇屋・茶屋・橋向・坊主・南雑賀・南材木) 城北(一番丁〜十三番丁) 新南(新留・吹屋) 吹上(吹上一〜五・堀止東・真砂) 芦原(雄松・三沢)

刺田比古神社は延喜式内社、和歌山城の氏神、吉宗公拾い親の神社である。
岡(現在の和歌山市広瀬、大新、城北、吹上、芦原、新南地区)の産土神として、「岡の宮」の名で知られている。
神武御東征に御活躍の道臣命(大伴氏の祖先神)、百済救済の御武功で知られる大伴佐比古命をお祀りしている。
佐比古命(狭手彦命)は百済救済の武功により、道臣命の出身地たる岡の里の地を授かったという。
『続日本紀』にも片岡の里出身の大伴氏が登場し、昭和7年には境内南西側で岡の里古墳(古墳時代後期)が発見されたことからも、その由緒をうかがえる。
一説には聖武天皇岡の東離宮跡とも伝えられる。
佐比古命より世々岡の里を采邑し、佐比古二十世の裔大伴武持が岡の里に住むに及び、大伴氏の発祥であるこの地に祖神、祖霊を祭祀した。
里人はこの地を開始経営し給うた神として、その神徳を仰ぎ産土神として国主ノ神、大国主神と尊称し崇敬した。
大伴武持二十八世の孫岡本信濃守武秀が始めて岡山(現和歌山市)に城を築くと、神田若干を寄付するなど代々城の氏神として厚く崇敬した。
里人の崇敬も厚く社殿等頗る壮観を極めたが、南北朝の騒乱など度重なる兵乱に遭い、社殿も荒廃するに至った。
嘉吉年中に氏子等が再興し、国主(くず)神社と呼び崇敬した。
天正年中、豊臣秀吉が和歌山城を築くにあたり本城鎮護の神として尊び、大伴の後裔岡本左介を社司とした。
豊臣秀長は城代桑山修理亮重晴に社殿修造を命じ、岡本左馬助家長を神官とした。
文禄3年、神社を本来の鎮座地たる岡の里(現在の御鎮座地)に移した。
その後浅野幸長が本国を領するも、本城鎮護の神として変わらず尊宗した。
元和年中、徳川南龍(頼宣)公が紀州入城すると、城の守護神たるこの神社を崇敬し、社殿を修築し社宝を奉献した。
更に領地を寄進し、宮司を別当職として松生院に居住させた。
二代城主清渓(光貞)公以後は産土神として崇敬し寛永年中より延宝年中、大小社殿を造営し、松生院別当職を解き唯一神社となし、新たに神官邸を社の傍に寄進して奉仕を厳にした。
其の後名草郡岡村にて社領を寄付され、神官岡本長諄を従五位下周防守に叙任された。
殊に八代将軍有徳(吉宗)公御誕生の時、神主岡本周防守長諄が仮親となったことから、吉宗公より特別に崇敬をうけた。
吉宗公は将軍就任に際し開運出世の神と敬神され、享保年中名草郡田尻村(現和歌山市田尻)に200石の朱印地を寄付し、神社境内の殺生を禁じ、黄金装飾の太刀壱振(国宝)、神馬1頭を献じ、永く国家安泰の祈願社とした。
これより年に壱万度の国家安泰の祓を命ぜられ、神主岡本長刻より代々3年に1度上東し将軍に拝謁し、代替、継目等のさいは江戸にて拝謁する例となった。
よって氏子の崇敬益々厚く神徳弥栄にて、明治6年4月に県社に列せられた。
昭和20年7月9日の戦災に遭うも、御神霊は安泰であった。
その後氏子等の敬神により現在の復興となり、崇信日々に広く神威赫々である。

写真情報

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