和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

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和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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玉津島神社

玉津島神社 たまつしまじんじゃ

  • 遠北 明彦
  • 〒641-0025
    和歌山市和歌浦中3丁目4-26
  • 073-444-0472
  • (主祭神)稚日女尊 息長足姫尊 衣通姫尊 (配祀神)明光浦靈

金高稲荷社

4月13日

奉納御製和歌(49首) 御宸筆神額(1額) 御石燈篭(1対) 歌仙(36枚) 石檠(2基)ほか

境内地(県指定文化財  平成20年6月24日指定)

本殿(木造檜皮葺春日造 10屐 鈴門(木造銅瓦葺 5屐 拝殿(木造瓦葺 50屐 神庫(木造瓦葺 12屐 神器庫(木造平屋建 24屐 神饌所(木造平屋建 12屐 斎館(木造瓦葺 108屐 社務所(木造瓦葺 30屐

85,800

玉津島一帯はまた玉出島ともいわれ、いにしえ島山が恰も玉のように海中に点在していたと想像され、かの山部赤人の長歌に、「神代より然ぞ貴き玉津島山」と詠まれた如く、風光明媚な神のおわすところとして崇められてきた。
玉津島社の創立は極めて古く、社傳によれば、「玉津島の神は、狆紊沈き瓩茲蠶辰泙蟶舛襦廚箸△襦
稚日女尊は、諾・册二尊の御子であり、天照大御神の妹神に当らせられ、後世又の御名を丹生都比賣神と申し上げる。
息長足姫尊は即ち神功皇后である。
皇后が海外に軍をおすすめになられたとき、玉津島の神が非常な霊威をあらわされたため、皇后これに報われ御分霊を今の伊都郡かつらぎ町天野の地にお鎮め申し上げ、爾来玉津島・天野に一神両所に並び立ち、毎年天野の祭礼に神輿がはるばる玉津島に渡御する所謂浜降りの神事が應永の頃(1429)まで行われた。
玉津島の神を尊崇せられた皇后は後に卯の年月にちなみ、御自身も合祀せられることとなった。
衣通姫尊は、第十九代允恭天皇の妃で絶世の美人であられ、その麗しさは名のとおり「衣を通して光り輝いた」と伝えられ、又殊のほか和歌の道に秀でられたことはよく知られるところである。
衣通姫尊は、第五十八代光孝天皇の勅命により当社に合祀せられた。
これは天皇の御夢枕に尊が現れて、「立ちかえり またもこの世に跡垂れむ 名もおもしろき 和歌の浦波」との一首を詠じられた故事によるもので、これより玉津島の神は、住吉大神(攝津)・柿本大神(明石)とともに猩族了或性瓩琉譴弔箸靴董朝廷はもとよりひろく一般文人墨客から崇められてきた。
後世、後西・霊元・桜町・桃園・後桜町・後桃園・光格・仁孝天皇の御代においては、々「法楽和歌会」と称し、玉津島の神に和歌を奉納する歌会が宮中で催された。
これら当社に奉納された天皇御宸筆になる御製御短冊は、重要美術品として保管されている。
神社背後の小高い岩山は奠供山(標高33m、奠・供ともおそなえの意)と呼ぶ。
即ち、玉津島はまた奈良・平安朝の聖武・稱徳・桓武三帝にもこよなく愛られ々この地を訪われ滞在せられた。
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とくに聖武天皇はこの山に登られ、『山に登りて海を望むにこの間最も好し 遠行を労せずして以て遊覧するに足る 故に「弱浜」の名を改めて「明光浦」と爲せ 宜しく守戸を置きて荒穢せしめることなかれ 春秋二季官人を差遣し玉津島の神・明光浦靈を奠祭せよ』との詔勅を発せられ、これにより明光浦靈を併せお祀りすることになったものである。
なお当社のもとの御本殿は慶長年間初代紀州藩主浅野幸長侯が造営されたものであるが、荒廃甚しく、幸い奇篤者(篠田博之・めぐみ様御夫妻ほか)の御浄財を得て、平成4年秋社寺建築の粹を施しその修復が完成し往時の絢爛たる御姿が再現されたものである。

写真情報

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