和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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矢宮神社

矢宮神社 やのみやじんじゃ

  • 〒641-0035
    和歌山市関戸1丁目2番地
  • (主祭神)賀茂建津之身命 (別名やたがらすのみこと) (配祀神)吉井駒島神

三諸神社 伊勢大神社 住吉神社 春日神社 稲荷社 金比羅社

10月13日

石燈篭(1基 春日形龍山石造、徳川初代藩主頼宣公寄進) 釣燈篭(2対 春日形塗金造、徳川家重臣寄進) 扁額(3面 徳川初代藩主頼宣公、六代宗直公、七代宗将公寄進の絵馬) 棟札(延宝5年徳川二代藩主光貞公修葺の棟札) 螺(2羽 天正5年の役の雑賀孫市寄進螺貝) 弓(2張 徳川藩主寄進)

本殿(総白木春日造銅瓦葺 39,6㎡) 伊勢大神・三諸神社社(総白木流造 3,3㎡) 住吉・春日神社(総白木流造 3,3㎡) 拝殿(木造銅瓦葺 36,3㎡) 社務所(木造瓦葺 33㎡) 参集殿(木造スレート葺 39,6㎡) 一ノ鳥居(石造神宮鳥居) 二ノ鳥居(石造神宮鳥居) 石燈篭(3対)

9,579.9㎡

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御祭神賀茂建津之身命は、またの御名を八咫烏命と申し上げる大神にましまして、神武天皇御東征の砌、紀伊国熊野邑から大和に向かわれたが、山中嶮絶して進退きわまられた時に天照大神の御神勅を奉じ、大鳥の飛翔するが如く皇軍を導かれ、また時には勅命を奉じて賊将の陣営に到り降伏を諭し勧めるなど、我が肇国の大業に勲功赫々たる大神にまします。
よって勝運、開運、情報、交通安全、方徐の神として崇められている。
吉井駒島神は本国神明に正五位下吉井駒島神と見える神で、井水の神であらせられる、元境内神社であった。
中古は和歌吹上の大神として四囲に知られ、海部、名草二郡にわたる雑賀荘21か村の総社大産神として荘民の崇敬を集めていた。
天正5(1577)年、雑賀孫市が率いる雑賀党が織田信長に攻められた時、村民が神助を祈ったところ、「敵兵三月三日干潮を待って攻め来らん、われ村民のために海潮を退かしめず」との神託どおり、当日は潮満々として敵兵難渋するところを攻めて勝利した。
その時の欣喜雀躍が雑賀踊の始まりである。
また天正8(1580)年に石山本願寺が落城して顕如・教如父子上人が当国に下向し、雑賀党がこれを守護した。
寄手に追われた教如上人が雑賀崎の鷹の巣の洞窟に逃れ食事も絶えた折、海上に端麗な女人が顕れて、ここかしこと飛行して長刀を水車の如く振って防ぎ敵を近づけなかった。
しばらくあって本能寺の変があり、寄手は引揚げ無事を得た。
彼の女人は「矢宮大明神人の化現」と人皆この霊験を讃えた。
然し社殿、古文書等は兵火で焼失して荒廃し、假宮を建てて祭祀していたが、慶長6(1601)年の浅野幸長の検地の際に5町3反6畝12歩の社地の大部分を失った。
徳川初代藩主頼宣公は、寛永14(1637)年に社地(1,845坪)を定められ、本殿・末社2宇・鳥居2基を造営して御再興になられた。
爾来幕末に至るまで国内の大社として歴代藩主の崇敬は殊のほか篤く、増築修覆、寄進奉納、祈願祈は絶えることがなく、八代藩主重倫公より幕末まで当社神官に代々神道方を仰せつけられ職禄を給せられた。
これに做って当国はもちろん、阿波・讃岐・淡路・和泉の崇敬者も多く、明治維新前後は神符の下渡しも年額40,000有余体に及ぶ勢であった。

写真情報

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