和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

  1. ホーム

 


天満神社

天満神社 てんまじんじゃ

  • 小板 政男
  • 〒641-0024
    和歌山市和歌浦西2丁目1番24号
  • 073-444-4769
  • 菅原道真公

白山比賣神社 白太夫神社 神集神社 春日神社 香取鹿島神社 荒神社 白鳥神社 柿本神社 八幡神社 天穂日神社 産霊神社 白藤神社 住吉神社 高富稲荷神社

3月25日、夏祭7月24日・25日

筆供養祭(9月第3日曜日) 天神様で知られる狄原道真公瓩論抒悗了里箸靴特里蕕譟特に学徳文運の神・書道の神として厚く信仰されている。 書を愛好する人等が使用の筆は、動物の毛を主たる原料によって作られており、筆管も竹であり、これら大自然の恩恵を受けて作られた毛筆の数々を愛用して後に空しく朽ち果すことは誠に忍びがたいものである。 猊塚瓩忙箸じ鼎靴量售鼻ι管に感謝し廃筆を納め書道の上達を祈る意義深い筆供養祭を斎行している。 毎年正月2日には、猊始祭瓠癖納書初席上揮毫大会が実施されている)

天満宮縁起絵巻(貞亨2(1685)年) 社領古文書(1通 慶長6年12月6日) 社領古文書(1通 寛文4年7月25日 徳川頼宣卿寄附) 菅廟八百忌辰奉納和歌(30首 元禄15年) 懐紙〔連歌〕(1綴 寛文元年4月 徳川頼宣卿寄附) 三十六歌仙額(慶長11丙午9月21日 従四位下豊臣幸長朝臣奉納)

(国指定重要文化財)本殿(入母屋造千鳥破風付き檜皮葺 64,62屐‖臉5年5月24日棟札8枚共に指定 慶長9(1604)年に紀州藩主浅野幸長公によって再興されたもの、特に蟇股・手挾・木鼻・欄間・脇障子などの彫刻類はすばらしく、極彩色が施され豪華な桃山文化の粋を伝えている。) 楼門(一間一戸・入母屋造・本瓦葺 18,08屐‐赦10年5月13日指定 慶長10(1605)年建立 丹塗でこの種の楼門としては最大級の規模のものである。神社建築に禅宗様式を取り入れた最初の作品。) 末社、天照皇大神宮豊受大神宮本殿(2,45屐‐赦49年5月21日指定) 末社、多賀神社本殿(1,86屐‐赦49年5月21日)

211,761

和歌浦一帯 新和歌浦 和歌川町

天満宮の御祭神菅原道真公は碩学の士として知られている。
延喜元(901)年左大臣藤原時平の讒言により筑前太宰権師に左遷された。
赴任の時、海上の風波を避けるため、この和歌浦の地に船を停泊した。
地元の漁民はこれを迎え、網を巻いて円座を作り菅公はここに休まれた。
やがて、風波が静まり再び任地に向かわれる時、猩靴鮴僂狄箸鷲眩イ僕兇呂譴同鵑兇り行く和歌の浦波 見ざりつる古へまでも悔しきは和歌吹上の浦の曙瓩髪咾泙譴燭里任△襦
その後、村上天皇の康保年間(964〜968)参議橘直幹が太宰府より帰京の途中和歌浦に船を停めて、菅公を追慕し、この地に神殿を建立し菅公の神霊を勧請し祀ったのが当天満宮の始まりである。
藤原公任卿の詠歌に猩族里留困療桂宮や日の本の名だる一つとぞきく瓩箸△襪茲Δ謀社は古来より太宰府天満宮、北野天満宮とともに日本の三菅廟といわれている。
古くより朝野の崇敬があって、寛治4(1090)年には、白河上皇が熊野行幸の際、当天満宮に詣で菊花紋章の御幕を奉納している。
天正13(1585)年には、兵乱に遭遇し、社殿を焼失した。
そのため一時荒廃したこともあったが、紀州歴代藩主の深い信仰と庇護によって再び社を整備することが出来た。
現在の社殿は慶長9(1604)年紀州藩主浅野幸長公によって再建に着手され、慶長11(1606)年11月に竣工したものである。
元和5(1619)年浅野家に代り、徳川頼宣公が紀伊守に任ぜられ、東照宮の社地を当社の境内に求めるに当り、当社を和歌浦の地主神と定めて篤く崇敬し、寛文4(1664)年に神田を加増し、25石を寄附された。
江戸時代を通じて社家安田能登守が天満宮、東照宮両社官として明治維新まで奉仕した。
―社蔵『関南天満宮伝記』による―
主なる年中行事
筆始祭(1月2日)、初天神祭(1月25日)、節分祭(2月3日)年越大祓厄除祭、天神祭(7月24日25日)、筆供養祭(9月第3日曜日)、仲秋管絃祭(十五夜)

写真情報

和歌山県神社庁  /  〒641-0022 和歌山市和歌浦南3-4-10  /  電話 073-446-5611

copyright(c)2011 WAKAYAMAKENJINJACHO. All Rights Reserved.