和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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八幡神社

八幡神社 はちまんじんじゃ

  • 大畑 弥
  • 〒640-0341
    和歌山市相坂671番地
  • 073-479-0160
  • 応神天皇(誉田別尊) 神功皇后(気長足姫尊) 武内宿禰

高羅神社 瑞穂神社 織染神社 稲荷神社

西ノ宮(江南鎮座) 武内神社(松原鎮座)

10月13日

さと神楽神事(卯ごと神事)4月初卯日 祇園祭7月7日 神輿渡御(例祭)10月13日 火焚神事12月13日

天正の兵火にて縁起、社宝焼失

安原荘御船山縁起碑(市指定)

本殿(木造銅板葺流造 25屐 脇殿(木造銅板葺流造 4,5屐 脇殿(木造銅板葺流造 4,5屐 脇殿(木造銅板葺神明造 4屐 脇殿(木造銅板葺神明造 3屐 拝殿(木造瓦葺入母屋造 20,5屐 神楽殿(木造瓦葺入母屋造 57,8屐 参集殿(木造瓦葺入母屋造 23,5屐 社務所(木造瓦葺入母屋造 23,5屐 神饌所(木造瓦葺入母屋造 24,5屐 神輿庫(木造瓦葺入母屋造 20屐 御神庫(木造瓦葺入母屋造 16屐 大鳥居(木造明神鳥居)

約2,300

和歌山市相坂 江南 井戸 松原 馬場

神功皇后が三緯を征して後、新羅国より御凱旋の際、忍熊王の難をさけ、難波から紀水門(現在の安原附近)に御到着、御子誉田別尊(応神天皇)を武内宿禰に護らせて上陸させ、皇后みずからは更に日高郡衣奈まで迂回をして、再び津田浦(現在の安原小学校附近)に御上陸し頓宮を造られ御滞在なされた跡が当社である。
御鎮座年代は不詳であるが、欽明天皇の御宇、諸国の神功皇后御経歴の地に八幡造営の詔命があり、当社の創建もこの時と推憶される。
しかしながら社伝由来記によれば「応和元(961)年如月初卯未明、神託ありて宇佐より天降る」と記されているが、『紀伊続風土記』や『紀伊国名所図絵』の編者らは、それは社殿の再建であり、壮麗さを備えた中興の年ではないかとして、欽明天皇説をとっているも裏付け資料なく(天正兵火焼失)由来記をもって創祀としている。
なお、皇后当地での御滞在は、御子誉田別尊の御身辺に気を配られたためであり、また此の地は武内宿禰生誕の地で、一族が阿備柏原(市内松原字柏原、当社の南東1辧⊇蒜誕生之井あり武内神社を祀る)に居を構えて勢力をほこっており、安心して皇子を託すことができたからである。
やがて忍熊王の乱が平定されるや、皇后百僚を従えて紀ノ川筋を都へと還幸された。
その後道中御休息、御宿泊の地即ち海南市旦来、那賀郡貴志川町等々各地に八幡宮が御造営されたが、当社は紀伊国御路次中ふり出し第一の八幡宮で、『紀伊国名所図絵』も「当社は日本最初の御旧蹟なり、当時皇后の御船紀水門に泊し給い、後日高に還幸し給うと雖も、皇子を留め置かせ給う所は則ちこの安原郷なり」と記している。
『寛文記』によると、社領36町あり、社殿壮麗で長床、鐘樓、神宮寺、僧坊6人あったが、天正の兵火で焼失、その後再建されたが往時の姿にはおよばず、今日に至っている。
(例祭)
例祭には、古式に従い江南地区の西ノ宮(下ノ宮ともいう)御旅所まで神輿の渡御あり。
また春祭(御創立日、4月初卯日)には、当社に古くより伝わる「さと神楽」が講により奉納される。

写真情報

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