和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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粟嶋神社

粟嶋神社 あわしまじんじゃ

  • 宮本 和典
  • 〒649-0111
    海南市下津町方1101番地
  • 073-492-2156
  • (主祭神)少名毘古那神 (配祀神)應神天皇 事代主神 天照皇大神 祇園天神 倉稲魂神 崇徳天皇 猿田彦命 市杵島姫命

八幡神社 蛭子神社 百体神社 浜ノ宮神社 傳神社 八坂神社 稲荷神社 金刀毘羅神社 牛神神社 戎神社 浜戎神社 道祖神社 辨財天神社 厳島神社

10月13日

雛祭菱餅4月3日 粽祭旧5月5日 祇園祭旧6月7日 夏祭旧6月13日 人形流旧6月晦日 大頭祭旧9月午日 秋祭10月13日

神功皇后陣太鼓・御召衣・綾の舞衣 神像彫刻船板 金幣(豊後国從奉納) 神劍(銘長船清光) 永代明神講文書等

粟嶋神社石造神橋(町指定 宮川拡巾に伴い平成2年境内に移設)

本殿(木造春日造銅板葺 16屐 右脇殿(「八幡神社」 同右 7,2屐 左脇殿(「蛭子神社」 同右 7,2屐 幣殿(木造切妻造銅板葺 20屐 拝殿(木造向唐門銅板葺 5,8屐 神楽殿(木造瓦葺2側面解放 59屐 社務所(木造瓦葺 48屐 宝物殿(鉄筋コンクリート造 17屐 一ノ鳥居(石造 飛地境内) 二ノ鳥居(石造 境内) 石燈篭(17基[寛文元年(1661)]ほか) 狛犬(石造 2対[境内][飛地境内]) 太鼓橋(石造 高欄付20屐

1,021屐…端蕕凌后4,840屐“地境内 通稱幣使の隈 85

下津町大字方

当神社は、別名粟嶋大明神と稱する。
社伝によると、景行天皇2年、当時21戸の村民により、少名毘古那神が漂着された粟嶋の硯浦の森に宮居を造り、鎮め祀ったのを創祀とする。
その21戸の子孫が、明神講(大頭講)として宮座を今日まで守り継いでいる。
当時の粟嶋は海中に在り、干潮時に干潟を渡って詣でた様子が、『万葉集』に読まれている。
「潮満たばいかにせむとか 方便海の 神戸渡る 海未通女ども」(1216)(境内に歌碑あり)
神社の前方、山麓の古道に沿い「幣使の隈」なる古跡あり、神功皇后が征韓の折、お産の予兆あり、凱旋まで支えられるよう当神社に祈願される。
折しも勅使が風浪のためご社参できず、此の丘より奉幣されたと伝える。
その後ご凱旋の折の船中にて、皇子を御安産、そのお喜びにより、大国主神、少名毘古那神2柱の御神像をお手づから矢の根を以て船板に彫られ、ご帰朝後お賽詣りに奉納されたと言う。
「神像彫刻船板」「陣太鼓」及び御召衣の「綾の舞衣」が現在も社宝として保存されている。
その後時代移り、亀山天皇の文永年間(1264〜1275)に風浪激しい硯浦の宮居から、現在地に遷座された。
此の地は当時の浜中莊領主(京都仁和寺)からの寄進による広い社用地で莊嚴を整えたと、『仁和寺古文書』に見られる。
粟嶋大明神の御神徳は、津々浦々に広まり、中世以後更に信仰を集めた証として次の二点を記しておく。
社宝に、金幣3本があり「宝永四(1707)年豊後の国……」と刻まれている。
奉納者は現在の大分県米水津村で、ここに粟嶋神社があり、同村史による縁起概要は、「正平13(1358)年懐良親王が西征将軍として、豊後へ下向の際、暴風雨起り船覆へされんとした時、供奉の士渡辺左衛門尉、紀州の粟嶋大明神に「御船恙なく岸に着け給ひなば一宇を建立せん」と祈願したところ風雨治まり、船此の岸に着く、よって直ちに粟嶋大明神を勧請し、神社を建立したとある。
尚、昭和50年に町指定文化財となった神橋には「上州山田郡願主治郎助寛政九(1797)年丁己八月」の銘が読める。
参道正面の宮川に架かり、太鼓橋の愛稱で親しまれてきた。
累代奉仕の祠官、これに協力する宮座、村人の努力により、御神威は豊饒や海路の安全を祈る人々に語りつがれ、万葉の昔より、縁結びの神としても信仰を集めている。

写真情報

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