和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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山路王子神社

山路王子神社 やまじおうじじんじゃ

  • 上田 今朝男
  • 〒649-0145
    海南市下津町市坪269番地
  • 073-494-0455
  • 山路王子 応神天皇 天照皇大神

島姫神社 里神神社 道祖神社 妙見社 地祭神社

島姫神社(岳明神の森鎮座)

10月第2日曜日

泣き相撲(10月第2日曜日)

手鏡(人身出雲守作) 御湯釜(森 豊後作)

泣き相撲(県指定無形文化財) 獅子舞(県指定無形文化財) 一壷王子跡

本殿(木造春日造 19,25屐 拝殿(破風造 25屐 幣殿(平屋造 10屐 社務所(鉄筋コンクリート造 52,8屐 御供所(木造 9屐 鳥居(石造明神鳥居)

600屐ゞ内山林 7,900屐“地25

海南市下津町(市坪・沓掛) 

当神社は、平安時代より鎌倉時代に於ける、当時の思潮として、敬神崇祖の傾向が顕著なものがあったが、特に皇室の熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)のご崇敬が厚く忠実によれば、熊野への御幸は延喜7(907)年宇多上皇の御代を最初として、平安時代に頻繁におこなわれた。
御幸の途中は幾山河を起えるけわしい難路を冐して、はるばる三山へ参詣された、この熊野御幸の御道筋にて熊野を遙拝され御休憩所・御宿泊等の便宜のため道々に設けられた神社を王子神社と称された。
この王子社の信仰は、御幸道に沿って発達し、熊野九十九王子として当時より後世に至るまで熊野参詣の盛なるにつれ庶民の間にもこの信仰がひろめられたのである。
当神社は現在山路王子神社と呼ばれているが、建仁元(1201)年の『御幸記』に記載せらるところの「次参一壷王子」とある前記熊野九十九王子跡である。
また、延享3年『南紀神社録』奥書によれば「市坪王子亦称、山路王子、市坪村往還之右」と記載されている。
この市坪王子社が、現在の山路王子社を指すことが、その鎮座所が前記現在のところと同一であることによって分明である。
而して、当時なほ『御幸記』の如く、一壷王子―市坪王子と呼び、山路王子は、その通称であったのであり当神社の本称名となりきたったものであろう。
ちなみに、昔ここに、瑠璃光山安養寺があったが、明治維新後排仏棄釈の折に、この寺が取除かれたが、現在当社の境内に鐘堂がその名残をとどめている。
以上の如く、当社は、今に郷土の産土神として、鎮座する神社であって、社歴が古く王子社として残る極めて稀なる社に当るわけである。
この神社は秋季大祭(10月第2日曜日)の行事として犹盪夘餃甅犁磴相撲瓩行われる。
この行事はいつの時代よりおこなわれたかは確かな文献がないが古老からの云い伝えによれば江戸時代(約350年前)より行われている当神社伝統の神事である。
奉納花相撲(通称泣き相撲)
氏子より選ばれた5・6歳の男の子が行司となって裃をつけ軍配を携え、境内に設けられた土俵に上り神前に向って神様への祈願と参詣者の見物人に対して「幼気な小供を集め花相撲をおこなう」旨の口上を述べ披露する。
続いてまだよちよち歩きもできない生後4ヶ月ぐらいから小学校の生徒までの男の子が赤や青の色とりどりのマワシを締めて介添所役の氏子総代に抱かれ土俵の中で取組がなされる。
取組は1人2回ずつみんな仲よく一勝一敗で終わらせる。
これは互に土をつけ合う仕組で勝負をけしかけられ泣きながら相撲をとるのでこの名がつけられたのである。
(勝負がすめば褒美として参加者全員に破魔弓セット進呈して引き下がる)
この犁磴相撲瓩砲海匹發稜愧罎謀擇鬚弔韻襪班袖いからないと言い伝えがあり、又祭神が氏子にスポーツを奨励し無病息災を願われとも伝えられている。
愛児のすこやかな成長を願い年に一度の産土神のお祭にわざわざ里帰りして坊を出場させるお母さんも多く見られる。

写真情報

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