和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

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和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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隅田八幡神社

隅田八幡神社 すだはちまんじんじゃ

  • 寺本 嘉幸
  • 〒648-0018
    橋本市隅田町垂井622番地
  • 0736-32-0188
  • (主祭神)誉田別命 足仲彦尊 息長足姫命 (配祭神)丹生都比売命 瀬織津比女命

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10月15日

火焚(どんど)神事(1月14日)、粥占神事(1月15日)、秋祭(10月第2月曜日(体育の日)の前の土曜日、日曜日)、渡御神事

人物画象鏡(国宝) 隅田八幡文書

人物画象鏡(国宝)  隅田八幡神社経塚(県指定文化財)  隅田八幡神社秋まつり(県指定文化財)  隅田文書(37点 県指定文化財)  管祭・粥占神事(市指定文化財)

本殿(木造銅板葺流造 79屐 拝殿(木造銅板葺入母屋造 16,5屐 東・西神楽殿(木造瓦葺入母屋造 79屐 客殿(木造瓦葺入母屋造 288屐 社務所(木造瓦葺入母屋造 217屐 御輿庫(木造瓦葺切妻造 25屐 宝物倉(木造瓦葺切妻造 16屐 隨身門(木造銅板葺入母屋造 16屐 鳥居(石造八幡鳥居)

7,679屐“地境内地2,000

橋本市隅田町(河瀬・下兵庫・住宅・上兵庫・中島・中下・芋生・真土・垂井・平野・山内・霜草) 橋本市(杉尾・境原・恋野・ 赤塚・中道・上田・須河・谷奥深)

神功皇后が外征後、筑前国から紀伊の衣奈浦(日高郡由良町)を経て大和の都に御還幸の途次、この地に滞留なさせ給いし旧跡にして、貞観元(859)年に八幡社を勧請したのが創祀であるといわれている。
寛和2(986)年摂政・藤原兼家が山城国男山にある石清水八幡宮の境内に建てた三味堂の料所として紀伊国伊都郡隅田村を寄進して、ここに石清水八幡宮社領紀伊国隅田庄が成立した。
やがて永祚2(990)年には国免庄としての隅田庄となり、万寿5(1028)年には検田使が立ち入らない隅田庄となった。
さらに、延久元(1069)年の荘園整理令にかかわらず、同4年9月5日づけ太政官の牒によって、石清水八幡宮の荘園として認められる。
以降、石清水八幡宮によって隅田庄の開発と支配が行われ、隅田別宮として勧請された。
天永元(1110)年に隅田庄内の豪族・長(のちの藤原・隅田)忠延を隅田八幡宮の俗別当および隅田庄の公文(庄官)に任命して、隅田八幡宮の管理および隅田庄の支配をさせている。
藤原忠延は、隅田氏の祖といわれ、以後、隅田八幡宮の俗別当職と公文職の両職を隅田氏が世襲し、隅田八幡宮の経営、祭祀権を隅田庄々官としての管理権に強大な力をもった。
その後代々地頭職を兼ね武事を専にして殿堂を建て祭式を厳にした。
永禄3(1560)年2月松永彈正久秀の来攻、社殿が焼失、慶長年間に再建され、後文政2(1819)年に焼失、同5(1822)年に再建され現在に至っている。
隅田荘の産土神として規模は大きく、江戸時代の当社の神職には神主1人、禰宜2人、神子1人、供僧6人、宮使1人 承使1人があったと伝えられ、壮麗な社殿は今日なお、その面影を残している。
大正5年11月県社に列せられた。
(管祭)
小豆粥に竹の管を入れ、小豆、米の入り具合で稲の豊凶を占う。
市無形民俗文化財。
(例祭)
県下最大の担ぎ山車屋躰(だんじりやたい)が当番地区から4基(13基が年毎に交代する)が、笛・太鼓で囃子ながら巡行し、紙子や幣をかざした子供達が先駆を勤め宮入りする。
渡御は、屋躰、御輿、宮司、神官、巫子、神具、麻裃一文字笠の総代役員が行列をなし御旅所まで練る。
屋躰は大人100余人で担ぐ。
県無形民俗文化財(平成7年4月)。

写真情報

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