和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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八幡神社(吉田)

八幡神社(吉田) はちまんじんじゃ

  • 井口 健佑
  • 〒649-1342
    御坊市藤田町大字吉田字八幡2268番地
  • 0738-53-0630又は0738-22-3794
  • (主祭神)八幡大神 神功皇后 高良神  (配祀神)三筒男大神 天児屋根命  金山彦命 大鷦鷯命 天満天神

春日神社 若宮神社 天満天神社 住吉神社 琴平神社

10月5日(10月第3日曜日)

本殿(木造檜皮茸流造 18,1屐 式殿兼拝殿(木造瓦葺平家建 8,3屐 雨覆殿(木造亜鉛板葺平家建 49,5屐 社務所(木造瓦葺平家建 49,5屐 一ノ鳥居(石造明神鳥居) 二ノ鳥居(石造明神鳥居) 境内社琴平神社前鳥居(石造明神鳥居)

15,540屐〇確907屐〇確24,761屐‥帖218屐“10,115

御坊市藤田町(北吉田・津井切・藤吉田・天神・下吉田・出島・道成寺団地)

当神社鎮座地は昔より「やはた山」と呼ばれ、八幡大神とは特に縁が深く、又その周辺に「九海士の里九艘谷」と言う地名が残ってあり、往古九艘谷は入江となって居たと言われ、神功皇后三韓征伐帰途の折、この地に行宮所を設け、しばし此の地に留まられた。
この地を出立するに当り、9人の供の者に船1艘ずつを賜り帰宮された。
留まった9人の供の者は、その舟で漁業に努め、農耕に精出し、行宮の聖地に八幡大神をお祀りした。
降って天智天皇の御宇、九海士の里の邑長「早鷹」と言う者が、嗣子なきを憂い八幡大神に祈願の末、宮子姫(髪長姫とも呼ぶ)を授かり、姫は文武天皇の御側として仕える出世をしたと言われ、後当社の程近き地に文武天皇勅願寺道成寺は建立されて栄え、神社は荒廃したが、その後改めて石清水八幡宮より神靈を勧請し、東吉田政所某なる住宅の西に一時奉齋、後八幡山の現在地に遷したと言われており(『旧神職阪本外記天保四年書上』『続風土記』『日高郡誌』)、勧請の折、京都阪田村より阪本五郎左衛門、阪本又佐衛門随従し来り社司として代々仕えたと言われ、政所屋敷跡の東を神主屋敷と呼びその近くに禰宜坂と言う地名も今尚残っている。
同地に阪本、坂本姓多きはその分家と言われている。
又神仏習合により当境内地に八幡宮別当として神宮寺が建立され、延宝3(1675)年迄は眞言宗無本寺にて浄国寺と云われたが(『亨保書上』『天保書上』)、仝年天台宗道成寺の末寺となり、その後は龍宮山雲性寺と稱したが、明治3年頃焼失、その後神仏分離の為再建されなかった。
尚、八幡山の北麓に川上の阿田木社より勧請された愛徳山王子神社も鎮座していたがその後荒廃し、今はその跡を留めていない(『建仁の御幸記』『続風土記』『江川組社方書上帳』『日高郡誌』)。
明治6年村社となり、明治41年氏子地域内の小社が合祀された。
尚例祭については、早朝祭事を執り行ない、その後競馬の行事が催され「やはたの朝馬」と呼ばれて賑わったが、昭和初年頃より馬が少なくなり馬駆けは途絶えた。
その後、平成12年より氏子総意に依り、例祭日の神賑行事は形を変えて復活し、当日は盛大を極め、併せて天音太鼓の奉納、宮子姫にあやかる様にと前年度中、氏子地内で出生の女兒全員の成長祈願と「宮子姫人形」の贈呈も行なわれている。
又境内社の琴平神社の例祭は3月10日に執り行なわれているが、氏子及び崇敬者より多くの餅米の奉納があり、祭礼の後餅撒行事が行なわれ、畳1畳分に延ばした特大の厄除餅も撒かれ、近郷近在の参拝客で賑わう。

写真情報

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