和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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熊野神社

熊野神社 いやじんじゃ

  • 中村 修
  • 〒644-0033
    御坊市熊野987番地
  • 0738-22-3123
  • (主祭神)伊弉諾神 伊弉冊神  大日霊女神  (配祀神)国常立神 天忍穂耳神  木花咲耶姫神 磐長姫神  須佐男神 火乃須曽利神  宇賀魂神 猿田彦神 天佃女神  神大和伊波礼彦神 大巳貴神  天児屋根神 焼芝王子  厩戸皇子 武甕槌神 万幡姫神  経津主神 金山彦神

八王子神社 秋葉神社

10月17日(10月第3日曜日)

秋葉祭(3月17日 火伏せ 餅撒行事)

本殿(神殿木造銅板葺流造) 祝詞殿幣殿拝殿(木造瓦葺入母屋造 92,56屐 社務所(鉄骨木造瓦葺入母屋造 60屐 氏子参集所(鉄骨木造瓦葺切妻入母屋造 85,14屐 一ノ鳥居(石造明神鳥居) 二ノ鳥居(石造明神鳥居)

境内山林 19,813

御坊市大字(野口・岩内・熊野)

往古出雲民族が紀伊に植民する際にその祖神の分霊を出雲の熊野より紀伊の新熊野に勧請する途中、「当地に熊野神が一時留まりませる」ということが当神社由緒の発端になっている。
平成2年10月熊野大社(出雲)発行の冊子『熊野大社』の50頁12行目に「熊野大社(出雲)に残る言い伝えによると、近くの村の炭焼職人が紀伊国へ移り住んだときに熊野大社の神主がクマノノオオカミ(熊野大神)のご分霊を持って一緒に行き、それをまつったのが現在の紀伊本宮大社である、としている」との文が見え、当神社由緒との整合性がみられる。
往時は盛況で例祭における渡御は田辺牛ノ鼻までと伝えられ、道中鉾につけた鼻高の面が海の方に向くと漁事に障があるということで漁民が大変恐れ、また馬が嘶くときは凶事のある兆しとして、沿道の人々が恐みて炊煙を上げず、道を掃き潮を打って清め、ひたすら、無事に通過するのを祈ったということである。
渡御先の「田辺牛ノ鼻」は現在田辺市芳養町国道42号線沿いバス停「牛ノ鼻」の近くに「日高郡熊野神社渡御旧跡」の石碑(近年、田辺市芳養町在住の崇敬者の方々の盡力により石碑の掘り起こしと整備がなされた)があり、その名残をとどめている。
田辺牛ノ鼻までの渡御の始まりは不詳であるが、室町時代永禄年間(1560年頃)まで続いたことが最近明らかになってきた。
時は下って、徳川時代紀州藩主南龍院公(頼宣公)の三男頼純公(後、松山藩藩主)が疱瘡を患い、当神社と大山権現神社に祈願され初穂を奉納せられたが、幾許もなくして平癒された。
さらに有徳院公(吉宗公)も疱瘡を病み祈願されたがこれも御全癒された。
有徳院公(吉宗公)疱瘡罹病、御全癒の経過については、平成2年8月12日付『紀州新聞』「日曜随想」欄で「徳川吉宗のことを調べようと思って『田辺町大帳』を繰っていたら、宝永三(1706)年の条に次のような記事が載っていた、云々…去年〈宝永2(1705)年〉申年の十二月、殿様(吉宗)が江戸において御疱瘡遊ばされ候、その前いまだ、和歌山にても御沙汰(うわさ)これなきうちに、日高郡遊屋(熊野)権現の御託宣に、国主が疱瘡煩い申すべきと神子(巫子)が口走り申し候由云々…」の記事が掲載されている。
これらの諸事により紀州家代々の藩主は当神社の氏子となり、廃藩に至るまで御供料の寄進があったと伝えている。
また、紀州家六代大慧院公(宗直公)は敬神の念厚く、本殿の改築、長床の修復をせられたということである。
平成15年3月9日本殿の修復奉祝祭を斎行し、平成20年4月6日境内社八王子神社・秋葉神社の修復遷座祭を斎行した。

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