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和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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内原王子神社

内原王子神社 うちはらおうじじんじゃ

  • 楠本 年美
  • 〒649-1202
    日高郡日高町大字萩原1670番地
  • 0738-63-2793
  • (主祭神)皇大神 (配祀神)誉田別命 市杵島姫命 迦具土命 菅原道真命 金山彦命 大鷦鷯命 粟田次郎命

稲荷社

石郡社

10月17日(直近日曜日)

古文書「高家荊木池田原谷萩原五ヶ村祭礼定書」〈享和元酉(1801)年 当社が5ケ村の総社であったとする『紀伊国続風土記』の説を裏付ける〉 他、約100点

高家王子跡(県指定重要文化財 史跡指定の根拠は客観的な古記録、下記『中右記』その他である)

本殿(木造板葺流造 21屐 祝詞殿(木造瓦葺入母屋造 13屐 拝殿(木造瓦葺切妻造 7屐 神輿庫(鉄骨平屋 13屐 手洗所(木造瓦葺切妻造 3屐 社務所(木造瓦葺入母屋造 79屐 一ノ鳥居  二ノ鳥居

3,940屐文什濺賈未諒向から参道を下ると右折して鳥居の前を東西に通る細道になる。熊野古道は時代に依り変遷するが、この細道もその一部であった)

日高町大字 萩原・荊木(旧東内原村) 高家・池田(旧西内原村) 

社伝、高家区伝来の沿革史には「天神七代御勧請ハ人皇八代孝元天皇六歳壬辰(452)年九月地神五代ノ御勧請ハ人皇十二代景行天皇七歳丁未(737)年六月」とある、「丁未」は「丁丑」の誤、「天神七代地神五代」は中世的表現である。
(古記録)
右大臣藤原(中御門)宗忠は日記『中右記』に「参大家王子社奉幣、其南昼養」と記した、天仁2(1109)年10月19日。
高家周辺地方は当時天台宗園寺の末寺と思われる真如院の私領で「高家庄」と呼ばれていた。
(高家王子社)
現在の内原王子神社は、この頃から明治初年に至る800年の間「高家王子社」と呼ばれていた。
社頭大鳥居右の石碑は、それをよく証明する。
(文学)
平家滅亡の悲劇は重盛の長男惟盛に現される。
京の妻子に会い、高野山で出家、那智で入水。
「鹿瀬の山を越え過ぎて 高家王子を伏し拝み 日数漸く経る程に千里の浜も近付きけり」(『源平盛衰記』巻四十惟盛入道熊野詣附熊野大峰の事)。
(別当寺)
神仏習合の中世、天文5丙申(1536)年氏下580戸に依って近くに建立された天台宗法華寺は現存しないが、当社の別当寺であった。
(神社合併)
明治41年(萩原)八幡、槌王子、里神、弁財天、金刀毘羅、皇太、秋葉、(荊木)若宮、氏、石郡、弁財天、金刀毘羅、(高家)天神、大森、鎮守、里、千原、太、金刀毘羅、由宇加山、秋葉山、氏、(池田)太、太、金刀毘羅、里神、里神、皇神小3社、以上30社を合祀した。
(例祭)
10月16日宵宮、17日本祭(但し17日に近い日曜日を本祭とする)。
渡御の前後に神賑行事(萩原の四つ太鼓、荊木の子供屋台、池田の奴踊り、各区の獅子神楽、鬼獅子、等)あり。
(社名変遷)
天文4乙未(1535)年棟札若一王子権現宮。
天保10(1839)年完成の『紀伊続風土記』に「若一王子社又は高家王子又は東光寺王子」、東光寺は現社地含む小地区名。
明治2年、王子皇太神宮。
明治6年、村社王子神社。
昭和16年、内原神社(東西内原村合併)。
昭和28年、宗教法人内原王子神社(現在の正式社号)。
(社叢)
原谷より流れ出す西川上流と池田より南下するその支流とが養水となり、本殿北部と鳥居南部に広がる社叢をつくる。

写真情報

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