和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

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和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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寒川神社

寒川神社 そうがわじんじゃ

  • 寒川 歳子
  • 〒644-1221
    日高郡日高川町大字寒川284番地
  • 0738-58-0005
  • (主祭神)国常立命 伊弉諾命 伊弉冊命  (配祀神)八重事代主命 瀬織津姫命  住吉三柱神 大原神 猿田彦神  大地主神 誉田別命 八衢彦神  事代主神 天児屋根命 市杵島姫命  健御名方命 少彦名命 速玉男命  天照大神 事解男命 大巳貴命  大名持命 須佐男命

妙見社

11月3日

粥占神事(1月15日)

神像(4体 県指定) 寒川祭(県指定無形文化財)

本殿(木造銅板葺春日造 12,8屐 祝詞殿(木造 7,8屐 拝殿(木造銅板葺流造唐破風向拝付 42,2屐 手水舎(木造銅板葺 1,6屐 長床(木造瓦葺長屋門造 36,5屐 社務所(木造瓦葺 111,1屐 鳥居(神明鳥居 大小各1基)

6,601屐“地境内地1,834屐〇魁[咫965屐〇┝鐫蓮892

日高川町大字寒川(上高野・下高野・上長志・下長志・上小藪川・下小藪川・板村(上、下)・土居(一、二、三、四班)中村・朔日・滝の上)大字小川

里伝えによると旧寒川村は、天応元(781)年河内の人儀右衛門なるもの此処に居住、開拓して村を開き、「梅原の里」と称したのをはじまりとする。
延喜22(922)年、寒川大原峯に愛徳山六所権現が勧請され、延長6(929)年、阿田木原(現上阿田木神社)に遷宮され、更に下阿田木神社へと発展する。
寒川住民は大正10年氏子分離がされるまで、延喜以来1,000年を上阿田木神社の氏子をも兼ねていたのである。
大原の宮が上阿田木に遷宮した年、寒川宮の平に河内神社が寒川地区の氏神として創建された。
陰暦正月1日は冬当、9月29日は秋当と言い、祭例を行ない、秋当には神輿、獅子舞、神楽が奏せられ、大宮権現(現寒川神社)へ渡御をしていたのである。
平治元(1159)年、平治の乱で下野国矢狗ケ城が落城し、寒川家四代朝実、五代朝康親子は、仁安2(1167)年主従73騎で梅原の里へ入った。
この73騎の屋敷を「七三本屋敷」と伝え、後年この屋敷に居住する者、又は所有者が当屋をして河内神社の祭祀を奉仕してきた。
元久元(1204)年、寒川家六代朝玄、鎌倉幕府より寒川荘14ヶ村の地頭を任じられ、守護神として国常立命、伊弉諾命、伊弉冊命を祀り、阿田木原に遷宮した愛徳山権現の分霊も勧請合祀し、大宮権現を創建し、後明治6(1873)年に村社に列し、寒川神社と号する。
明治11年、村内各所の小祠を合祀し、氏神社を河内神社本殿東側に建立する。
明治41年、村内各社を寒川神社に合祀し現在に至る。
河内神社跡は御旅所として残され、寒川祭祭典には神輿渡御され、神楽が奏される。
寒川祭は、宝暦8(1758)年、有田郡津木岩渕村の浪人医者岡木橋順より伝習したとの記録があり、昭和40年県無形文化財の指定を受けている。
現在は古式の当屋制を廃し、4役(大年行事、副大年行事、宮本年行事、若者頭)によりとりしきられ、笛12名、大太鼓1名、小太鼓1名、加禰(手拍子)1名、獅子4人立、薙刀振り(男子小学生の女装)、王仁、和仁、お多福各1名により奉仕せられ、その壮重、典雅な諸演技は参拝者のひとしく讃仰する所であり、万国博、近畿民族芸能大会等に招かれ、絶賛を博している。
又、祭典当日8本の飾りの花のつけられた幟が立ち、青空にはえて渡御を美しく彩るのである。
又古来より祭儀に当り、諸役奉仕者はもちろん、参拝者も酒気を帯びず、誠の心をもって行事を厳修する伝統があり、文化財としての祭典様式と共に神明への奉仕と感謝の念を捧げる精神をも永く伝えたいものと思う。
現在の本殿及び拝殿は昭和23年に新築され、昭和24年に正遷宮を齋行している。
昭和22年、宗教法人寒川神社としての認可をうけている。

写真情報

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