和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

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和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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切目神社

切目神社 きりめじんじゃ

  • 平野 球士
  • 645-0013
    日高郡印南町西ノ地328
  • 0738-44-0239
  • (主祭神)誉田別命  (配祀神)猿田彦命 金山彦命 須佐男命  天児屋根命 事代主命 迦具土命  三筒男命 倉稲魂命 蛭子神 龍王神

大塔神社 浦安神社 地宗神社

10月18日(10月第3週の日曜日)

拝殿に子供を寝かし泣かすことにより初詣りとする風習(初詣の時、大神の鎮座地・元村の氏子に限る)

巻物・戸張・香炉・絵馬・鏡・神輿

切目王子跡(県指定史跡) ホルトの木(幹周約4m・根回り6m・高さ約16m・樹齢約300年余 県指定文化財)

本殿(木造春日造檜皮葺 9,9屐 神輿舎(木造寄棟造瓦葺 13,2屐 社務所(木造寄棟造瓦葺 46,3屐 拝殿(木造瓦葺 16,5屐 長床(木造寄棟造瓦葺 39,7屐 大塔神社(木造板葺 1,6屐 浦安神社(木造板葺 1,6屐 地宗神社(木造板葺 4,9屐 手水舎(木造瓦葺 3,3屐

3,917

西ノ地(元村・上道・西ノ地・高垣)

通称切目五体王子社という。
社伝によれば、大和時代の崇神天皇のころ当村太鼓屋敷(当地より北東3丁、現在は畑)に地神五代を創立し、社号も五体王子宮と称した。
その後多くの星霜を経て、現在地に移転したと伝えられている。
切目神社は、古来より飛鳥、奈良、平安時代と朝廷の熊野信仰の高まりにともない大きく歴史上にその名を留めている。
切目という地名は『万葉集』(巻十二 3037番歌)「殺目山 行きかふ小道の 朝霞 ほのかにだにや 妹に逢はざらむ」にも残っており、その名を知ることができる。
特に11世紀から13世紀の300年間は、天皇・上皇の熊野行幸が最も多く、その中継遙拝所たる当社も、九十九王子の中の五体王子社として高い格式が与えられた。
熊野詣途上にあった平清盛が、源義朝挙兵の報を受けて京に引き返したのも切目王子とされる。
中世熊野詣では参詣の途上で歌会が催された例が参詣記に登場する。
後鳥羽上皇が切目王子で開いた歌会の記録(切目懐紙)の写しが当社には残っている。
切目懐紙歌会記録・後鳥羽上皇
「秋の色は谷のこほりにとどめ おきて梢むなしき おちのやまもと(遠山落葉)」
「うら風に 波の奥まで雲消えて  今日見る月の 影のさびしさ(海辺晩望)」
中世以降も『平治物語』や『太平記』(大塔宮熊野落事)等に熊野詣の途中に切目王子に参詣したとの記述が見られる。
『紀伊続風土記』によると境内摂社として大塔宮社が祀れたと記している。
天正13(1585)年、豊臣秀吉による紀州攻めの兵火で焼失したが、氏子等により再建された。
江戸時代に入り寛文2(1663)年、紀州藩主徳川頼宣から御戸帳・絵馬などが寄進された。
なお頼信公御手植のナギの木も現存している。
貞享3(1686)年には社殿が再建されている。
現社殿の拝殿は、明治41(1908)年に再建されたものである。
明治6(1873)年に村社の社格を受け、明治39(1906)年9月21日、日高郡切目村大字西ノ地字門前に鎮座し、無資格神社を境内神社に、金刀比羅神社を本神社本殿に合祀許可を受けて同年10月18日合祀した。
合祀移転された神社
玉野神社(印南町切目西ノ地字門前、祭神・天高地姫神、明治39年10月8日、本社境内内に移転)。
大塔神社(印南町切目大字字太鼓屋敷、祭神・護良親王、明治40年10月18日、本社境内内に移転)。
浦安神社(印南町切目大字字本村東浜、祭神・事代主命、明治40年10月18日、本社境内内に移転)。
龍王神社(印南町切目大字字本村東浜、祭神・豊玉姫命、明治40年10月18日、本社境内内に移転)。
稲荷神社(印南町切目大字字本村東浜、祭神・倉稲魂命、明治40年10月18日、本社境内内に移転)。
地宗神社(印南町大字字丸山、祭神・猿田彦神・市杵島姫命・保食命、明治40年10月11日、本社境内内に移転)。

写真情報

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