和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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大神社

大神社 おおじんじゃ

  • 辻本 邦彦 
  • 〒646-0063
    田辺市芳養松原1丁目19-12
  • 0739-22-4788
  • (主祭神)天照大神 豊受大神  (配祀神)正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命  天之菩卑能命 天津日子根命  活津日子根命 熊野久須毘命  多紀理毘売命 市寸島比売命  多岐津比売命 大宮乃女命 御膳津命  萬幡豊秋津師比売命 高皇産霊命  神皇産霊命 生久産霊命 足留産霊命  玉留産霊命 猿田彦命 天退向津比売命  氏ノ長者命 保食命 大綿津見命  大屋比古命  火之迦具土命  菅原道真  宇迦之御魂命

東神社 八柱社 西神社 天満社 戎神社 若宮稲荷社 火神社

10月8・9日(10月第2日曜日)

お飛神事

棟札〈正和3(1314)年〉

本殿(流造 8,7屐 拝殿(47,6屐 社務所(47,9屐 絵馬殿(38,0屐 長床(入母屋造) 手水舎(6,6屐

1,957

松原 井原 芋 田中 田川 境 団栗 大坊 崖 芳養明洋団地

創立年代は詳ではないが、院政期の記録中右記〈天仁2(1109)年〉や後鳥羽院熊野御幸記建仁元(1201)年などにみえる芳養王子社で、熊野参詣者に崇敬されたが、中世末以来、九十九王子信仰の衰微から荒廃したようで、社記に正和3(1314)年、若一王子権現宮として再興され、下芳養の産土神に祀られたことがみえる。
湯河氏も芳養庄を支配した時代に、田地5町余を寄進(『紀伊続風土記』)され、再興につとめている事が記されている。
しかし、宝永4(1707)年の津浪や延享3(1746)年の大火、嘉永7(1854)年の再三度の災害によって創立以来の記録・宝物類が消失したという。
明治元年には神仏分離の動きの中で、社名は若一王子宮・大神宮と改められたが、同5年、大神社と定められた。
同6年4月に村社に列せられる。
同10年10月に下芳養4ヶ村内の小社・叢社(田中の八柱社、芋の大神宮、西炭竃の氏神社、井原の綿津見社、大屋の大屋社、境の愛宕社)を合祀して境内社とした。
同35年に社格に伴う境内面積の規定により、境内地が拡大される。
同42年10月、幣帛料社に指定。
さらに、大正3年2月に会計法適用社に指定された。
昭和22年、宗教法人登録に伴って社名を寄言神社としたが、25年8月、現在の社名に復帰した。
俗称の「寄言の宮」は、大昔の或る神官の時代、或る夜の夢の中で束帯の神人より「我は今度倏颪蠅良´瓩亡鵑譴訖世覆蝓∩瓩我を迎えるべし」とお告げがあり、神官は翌朝お告げの場所に行くと、1つの笏(鏡)が漂うており、それをただちに迎えて御神体にしたという(『紀伊国名所図会』に記載)。
お告げによる寄り笏(鏡)の口碑は、漂着神の伝承の1つである。
(例祭)
大神社の祭礼は、明治より10月8日宵宮祭、9日本祭にて行われたが、現在は前述の通り10月第二日曜日に行われている。
本祭の渡御に供奉する美女万才、神饌の中の一枝二個付茄子が珍しい。
宵宮の前日、午後7時頃、獅子舞衆一同が宮入りをし、清祓の後、氏子各家庭に獅子舞を奉納して廻る。
宵宮祭の昼前、宮司が本当宿に出向き、当宿の家祓いを行う。
午後8時頃、2地区の獅子の渡りが行われる。
本祭日は、午前8時頃から2地区3頭の獅子舞の奉納がある。
3時頃から渡御に出発、氏子参列者と列をなし町内を神幸する。
4時、宮入りをし神前にて例大祭神事が斎行されるが、この神事に各当宿から奉納された一枝二個付茄子を献饌する。
一枝二個付茄子とは、長さ1尺3寸、幅5寸の板台に、竹串を馬蹄にまげて板台の両端にさし込み、揚柳の枝をさし渡し、これに茄子2個つきを板のままくくりつけたもので、いわれは定かでないが特殊な神饌物である。
また7地区から奉納される幣は、幣串の長さ2間(最近は短くなってきた)あり、渡御後の神前奉幣に際し、紙垂幣束の床上に垂れる程度により、漁運隆昌、豊年万作の吉凶を占うとの伝えがある。
神前例大祭の斎行をもって祭典の行事を終える。
また9月の晦日には、神様が出雲路に旅立たれる事を寿ぎ、お飛神事が斎行される。

写真情報

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