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長野八幡神社

長野八幡神社 ながのはちまんじんじゃ

  • 栗山 宣希
  • 〒646-0213
    田辺市長野988番地
  • (主祭神)誉陀和気命 息長帯日女命 仲津日子命 (配祀神)大山咋命 岩長姫命 大雀命 那須余一宗高 那須定守

日吉神社 長野神社 鎮守社 火伏神社 三峯神社

11月3日

本殿(流造 7,9屐 社務所(入母屋造 64,5屐 手水舎(2,3屐

5,144.7

長尾 東原 西原

社伝によると応永年間(1394〜)、那須余一宗高の末孫定守が、相州(神奈川県)鎌倉より御神体を奉じて長瀬に来て本殿を創建したという。
また当時境内に植えた椰樹に対して「枯れざれど伐木を禁ず」と遺言を残したともいう。
創建の祝詞が近くの光福寺や三栖の横尾国蔵氏宅に伝えられている。
当初の鎮座地は、沢の口の河辺り(応永の元)にあり、明治22年8月の大水害と同26年の水害で、同27年6月、現在地に遷宮した。
明治4年、神仏分離の動きの中で、社名が正八幡宮から八幡社(八幡神社)に改称された。
同6年4月、村社となる。
同7年9月、村内の小社(金剛神社、若宮神社、軍神社、日吉神社、宗高神社、鎮守神社、定高神社、金比羅神社)を境内社に合祀。
同40年4月1日、幣帛料供進社に指定。
同42年3月、一村一社の合祀令で上野の鎮守八幡神社、伏蒐野の鎮守八幡神社を合祀した。
大正3年2月9日、会計法適用社にも指定された。
昭和23年、合祀した上野、伏蒐野両八幡神社が分離して元地に復社した。
同43年、明治百年祭記念事業として、境内の大整備と本殿の屋根葺替、社務所の移築が行われた。
(例祭)
長野八幡神社の祭りには、宵宮祭と祭礼当日獅子舞と共に、県指定文化財になっている住吉踊を奉納されるところから住吉祭とも呼ばれている。
例祭の準備(当屋入り)。
住吉踊当宿は、東原地区60戸、西原地区70戸を各5班に分け、各班輪番制となっていて、祭日1週間前当屋入りの儀式が行われる。
また踊りの音頭取りと音頭ワケが両地区から交互に1名ずつ出るが、この音頭定めも行われる。
獅子舞宿は祭日の3日前、地区で1戸選ばれる。
宵宮祭。
各地区から奉納された幟を立て、拝殿には氏子から奉納されたお供えと踊りに用いる太鼓、扇子、笹を奉納する。
午後7時、宮総代参列の中、長尾地区獅子舞団による獅子舞奉納。
獅子舞は勇舞、道中にわかの楽舞となっている。
終って東原、西原地区青年15名による住吉踊が奉納される。
この住吉踊は、もとは笹踊りと言い、安永4年の神社祭礼調べの中に「笹踊り」として記録されていて、獅子舞と共に相当古くから八幡神社の神事芸能として伝承されている。
踊りは、太鼓をもった音頭取りと音頭ワケの二人が先頭に立ち、他の者は右手に笹、左手に三つ巴の紋の入った扇子を持ち、輪をつくり先頭の音頭取り、音頭ワケが「千早ふる」と唱えて太鼓を打ちならし行進を始めると、踊り手は「ヤーハンハー」と囃しながら続き、音頭取りが「住吉どのの宝の御舟」と太鼓に合わすようにして唱えると、一同が笹と扇を胸の前で合わすようにして拍子を揃えて前進する。
音頭取りと音頭ワケの装束は、巴の5つの紋を打った紺の着物に袴をつけ、踊り手は薄水色の着物に袴をつけ、左手に5枚葉の笹を持ち、右手に巴紋の扇子を持つ。
青年15名により奉納される住吉踊は、太鼓に合わせて踊舞する素朴単純な踊りで、歌詞も神の賛歌であり豊年の祈願歌である。
例祭当日。
午前10時、宮総代、町内会役員参列して神前式斎行。
午後2時、獅子神楽団による獅子奉納。
終了後、東原、西原地区青年団による住吉踊が再度奉納される。

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