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11月15日
堅田祭(ヤツハチ 県指定)
本殿(5,6㎡) 拝殿(入母屋造 26,5㎡) 社務所(59,5㎡) 倉庫(6,6㎡) 幣殿(3,3㎡) 第一鳥居(稲荷鳥居) 第二鳥居(台輪鳥居) 手水舎(1,7㎡)
2,482㎡
細野 上 大坪 東 西 中央
社伝によると村中協力により、八幡神を貞享4(1684)年8月15日勧請すという。
明治6年4月、村社となる。
同40年4月に神饌幣帛料供進社に指定された。
明治末年の一村一社の神社合祀令で、村内の神社(稗田の厳島神社、畑崎の浦安神社、山太郎の八坂神社、福田の大神社、箱島の浦安神社2社)を明治42年8月に合祀した。
大正3年2月に会計法適用社に指定された。
(例祭)
もと堅田の法事といわれたこの祭りは、神仏習合の色彩がこく、社号も八幡と称した。
この祭りの行事は、ヤツハチと渡御と獅子舞の3つによって構成され、長時間にわたる獅子舞が有名であるが、ヤツハチと厳しい精進潔斉も特筆すべきものがある。
宵宮祭。
午前6時頃から、青年会奉賛会が町内氏子の各家庭の神棚に獅子舞を奉納する。
午後1時よりヤツハチ(稚児舞)九番と打ち、3時より総代が参列して、神前で宵宮祭を斎行する。
ヤツハチの稚児は、毎年2~3才の男児が1名選ばれ、3年間の本役と、4年目の雇われ役を神の子として務める。
1年目の稚児は月の冠を、2年目の稚児は日の冠を、3年目を務める稚児は獅子の冠をつけて舞いを舞う。
4年目の稚児は、1年目の稚児が幼令で奉仕できない時、代役を務めるが、この4年間は厳しい精進潔斉の日を過すのである。
また舞は「式の手」「式の手獅子の舞」「かたおろしの手」「かたおろし獅子の舞」の4種を合わせて一番という。
午後5時頃、獅子舞宿からボンボリ(小提灯30個位を三角形につるした竿灯)と大提灯、少年達が持つ弓張提灯20個余を先頭に神輿が宮入りし、6時頃から獅子舞が奉納される。
当日祭。
午前8時頃、総代、区役員、稚児、青年会奉賛会役員等が神社に集合し、清祓を受けた後、神社東にある地蔵堂(御旅所)に集合。
地蔵堂でヤツハチ三番と獅子舞(幣の舞、三頭)を奉納して渡御に移る。
渡御の列は、白装束に鬼の面をつけ、白杖と扇子を持った社主を先頭に、傘鉾6本に前後を守られた稚児が馬(稚児を肩にかつぐ人)の左肩に乗り、その後に各当番役員が従う。
途中、民家に立ち寄り、昔この渡御の道中で急死した稚児を祀る玉彦の社に向って、ヤツハチ一番と獅子舞を奉納し渡御を続ける。
辻々では、鬼(総代)の「年々の通りお祓いを申す」との大音声に続いて「ウァー」と鬨の声を上げて町内の祓いをする。
神社に到着すると、社殿前広場に作られたノブタイ(能舞台)を中心に3回廻り、渡御を終え神前式を斎行する。
ヤツハチは、ノブタイで本殿に向けて九番の舞を、脇宮に向けて六番の舞を舞う。
月輪、日輪の2人の稚児は向い合って胸につけた「かんこ」(太鼓)を2本のばちで叩きながら可愛らしく舞い、獅子は1人で力強く舞う。
神前式。
ヤツハチが終了すると子供神輿、青年会神輿が宮入りし、社殿は一層賑やかになる。
午後1時頃より神前で雄獅子(下組)、雌獅子(上組)による獅子舞が奉納される。
曲目は、幣の舞、乱獅子、剣の舞、扇の舞、玉獅子、花懸り、神明の舞、うかり、跳び獅子及び道中の10曲9舞で、天狗、ひょっとこ、お多福が獅子をあやし、氏子の安全また豊作豊漁を祈願し、延々3時間に及ぶ演舞が奉納され、祭りは最高潮となる。
獅子舞終了後は投餅があり、祭り行事を終える。
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