和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

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和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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丹生神社

丹生神社 にうじんじゃ

  • 古久保 明孝
  • 〒645-0414
    田辺市龍神村東224番地
  • 0739-78-0010
  • (主祭神)丹生都比売神 (配祀神)丹生都彦神 健御名方神 倉稲魂神 大名持神 御食都神 狭依姫神 保食神 少田比古那神 誉田別神 三筒男神 須佐之男神 多岐都姫神 日本武命 久々能知神 火結神 瀬織津姫神 菅原道眞 香々背男命 事代主神 八衢毘古命 猿田彦命 天八坂入彦命

高野御子神・弥津波能売神・豊受姫神・和久産巣日神 天児屋根神・天津日子根神・熊野久須毘命・多紀理比売命・市杵島姫神・他4坐 伊邪那伎神・伊邪那美神

11月第1日曜日

本殿(木造 9屐 神輿庫(木造銅板葺 36屐 鳥居(コンクリート造神明鳥居)

6,840

龍神村大字(下柳瀬・上柳瀬・安井西・下宮代・上宮代・東・殿原 丹生ノ川)

当丹生神社の祭神は、丹生都比売と申し奉り、社地を巨勢原と称し、此の地に御鎮座せり。
大和国丹生川上神社の御祭神と御姉妹の神漏美なり。
巨勢原は、大和朝廷の豪族巨勢一族が壬申の乱(672)に敗れ、この地に落ち延びて来た巨勢の地名であろう。
明治初年の頃の社格調査の時、大和の国丹生川上神社より神漏美調査の為に、当時の山地大庄屋広井原小川惣吉方え、当丹生神社の御由緒報告の照会がある。
往時文治の頃、玉置氏大和の国吉野郡東村内御館増賀城を引越し、当地鶴ケ城に移住せしより代々城主の崇敬厚く、社殿壮麗にして例祭には山地組大庄屋が郡奉行代理として参向奉幣、寛文3(1665)年の古文書に「長床次第有之、山地殿は一段高く由郎衛門、上座の右の座頭は久保、久保の右の座古久保勘解由小川松本は左え付き、右の座頭林田ノ岡右の座の如し・・・」とあり、玉置氏落城後は村民にて奉祭せし。
天正13(1585)年、豊臣軍南征の時、社殿神宝悉く烏有に帰す。
承応3(1654)年、社殿再建時の棟木札、表「干時承応三年九月二十六日」、裏「大工熊野本宮墨屋守、高室八兵衛」とある。
再建後8年を経た寛文2(1663)年の壬申天7月7日、高野山実相院唯心阿闍梨因壇越之求書之と記された棟木札があり、古くより高野山と山地郷の関りがみられる。
明治19年、大改築が行われる。
同22年8月19日、古今未曽有の大洪水にて、社殿を浸し拝殿玉垣悉く流失。
同25年、社地を高台に積上げ、湊川神社様式を倣い再建遷宮する。
同42年1月25日午前1時、放火により本殿消失。
同年2月15日、仮殿落成御神璽を奉遷。
大正4年1月15日午後9時30分、放火の為に再度の消失をみる。
大正4年11月、仮殿を造り爾来そのままの姿で現在に及ぶ。
大正4年11月3日午前8時、地下約1尺8寸の所から桜花双雀鏡、桜花双鳥鏡など6面、槍1本、刀剣12振を発掘する。
現在、国立博物館所蔵。
同年11月3日午前8時にも神鐘5面、破片2枚、刀剣11振、槍1本を発。
同年11月5日、南部警察分署に届け出す。
平安末期の経箱と共に埋めたものなりと鑑定。
昭和28年7月18日、大水害により社務所、長床水没するも流失はまぬがれる。

写真情報

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