和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

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和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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高倉神社

高倉神社 たかくらじんじゃ

  • 田中 安弘
  • 〒647-1101
    新宮市高田568
  • 0597-85-3586(木本神社)
  • 高倉下命

12月1日

本殿(木造銅板葺 20,29屐 社務所(木造銅板葺 57,88屐

3,745

高田(西・里・口)

当社の創建年代不詳であるが、『紀伊続風土記』に旧家栗須孫總の事について「古老伝へ云ふ、高田三箇村の地、幽谷にして古は、人家田田園なし、中世入鹿郷大栗須村に孫總と云ふものあり、志願ありて那智山に参詣するに、此地を往来とす、村中河原小屋と云ふ所に始めて麻を植えて、土地の可否を試む、後伊勢ノ国の尼を妻とし、當地に居住して田畠を開墾せしより子孫繁茂して、終に三箇村となる、此家其嫡流なりといふ、氏神高倉明神は、孫總の妻伊勢より勧請すといふ」と記しており、高倉神社は中世に伊勢より勧請、氏神として奉祀したことがわかる。
また同じ『紀伊続風土記』に村中の産土神として「高倉明神森」として記しており「村の北川端にあり、高田三箇村の産土神なり、社なし、祭礼の時當ノ坐の家、夫婦白衣を著して上坐すといふ」と記してある。
高倉神社は、『紀伊続風土記』を編集した江戸時代天保年間(1830-44)には、社殿なく、神聖なる森を境内として奉祀していたものと思われる。
御祭神の高倉下命は、神武天皇御東征の砌、熊野にて非常に苦戦なりし時、これを助け奉り給ひ、『日本書紀』に「時に高倉下命、武甕雷尊の授け給ひし霊の霊剣を天皇に進る、天皇悠然として夢より覚めて予何と如此長眠しつるやと、尋で士卒悉く醒めて起きぬと」と記されている。
高倉下命は、又の名天香語山命、又の名手栗彦命、饒速日命の長子なり、饒速日命は天押穂耳命の長子にして、早くより大和に天降りて国津神となり、高倉子命は御親神に従い天降り、親神が大和に鎮座の時、仰を蒙りて熊野に鎮座して天孫種族の長として久しく熊野を統治されたが、神武天皇御東征の際其危難を救う偉功により褒せられて其の待臣となる。
後に越後に航し、種々の産業を教え、漁人に手繰網の法を教え、弥彦の里に遷り、熊野より携へ行き椎木の杖を地中に挿し、此の地我が住むべき処ならば枝葉繁茂せよと、後年果して枝葉繁茂して大木となれり、越後の人は深く高倉下命を徳として斎き祭り、一の宮と崇め奉り(弥彦神社)、熊野に残された子孫はいわゆる熊野三党となり、熊野神に奉祀して熊野を統治した。
(『新宮市誌』より)

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