和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

  1. ホーム

 


八幡神社(相賀)

八幡神社(相賀) はちまんじんじゃ

  • 田中 安弘
  • 〒647-1102
    新宮市相賀186
  • 0597-85-3586(木本神社)
  • 誉田別天皇

11月3日

本殿(木造銅板葺 14,4屐 社務所(木造銅板葺 49屐

228

相賀

当社の社伝によると、「当社は大職冠内大臣鎌足公後胤、信州上田の領主信濃守藤原光共長子上田太郎助が王子(今の裏の平)へ居住した折、和田、高目、田中の三氏も当地に居住す、四氏申合せで、字番峪へ勧請す、是則ち人皇四十代の時と古老の口伝なり」とある。
天明8(1788)年に至りて現在の地に遷座し、明治6年4月村社に列す。
江戸時代天保年間(1830-44)に編纂された『紀伊続風土記』には、当社の鎮座する現在の新宮市大字相賀は「浅里郷・相賀村」で「北桧杖村の西にあり、同村より當村の小名瀬原に至り、瀬原より西の方川を隔てて十八町余、大川の左に本村あり、高田川の溪に添ふ、當村舊は浅里村の中なりしに、元禄以後別れて一村となる、土人いふ村中川辺に桑の木多く、古は大木ありしより大桑といひしに、訛りてあふかと唱へ、終に相賀の字を用ふとぞ」とあり、村名の由来を記している。
この村中には「小堂一字」として、寺があったのは記しているが、氏神社は記していない。
天保年間の『紀伊続風土記』より60年ばかり前の記録である明和寛政頃(1764-89)の『新宮頒分見聞記』には「此所昔、寺あり、今は絶えたり、浅里村に付く」とあり、ここにも氏神社が記されていない。
同じ『紀伊続風土記』によると、相賀村は、浅里村枝郷とされており、熊野川対岸の浅里村の産土神である「八幡宮」を相賀村も産土神としていたのかと思われる。
尚、相賀村の小名瀬原は、熊野川の対岸にあり、『紀伊続風土記』には、浅里村の産土神の「八幡宮」なりとしている。
和歌山県の地名には「続風土記は村内社寺として小堂一を記す」として、小堂は、神社及び寺であると解釈している。
『東牟婁郡誌』所収の明治6年調神社の中には、相賀村に八幡社とある。

写真情報

和歌山県神社庁  /  〒641-0022 和歌山市和歌浦南3-4-10  /  電話 073-446-5611

copyright(c)2011 WAKAYAMAKENJINJACHO. All Rights Reserved.