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神武天皇神社
10月1日
社殿(木造神明造銅板葺 約16㎡) 拝殿(木造平屋瓦葺 約27㎡) 鳥居 (石造 1基)
約665㎡
『色川村誌』に「村社椙吉神社小坂字瀬の奥にあり、明治四十五年三月十日、南平野小阪の各神社を合祀す、由緒未詳、氏子数一〇七」と記されている。
天保年間(1830―44)に紀伊藩が莫大の経費と十数年の歳月を費して編纂した『紀伊続風土記』には、色川郷に18ヶ村あり、その内の小坂村について「平野村の乾二〇町余にあり、村居処々に散在す村名字の如し、○小祠一社」とあり、この小祠が椙吉神社であろう。
神社の古いいい伝えによると「古来より深瀬大明神と称し、小坂村の氏神たり、安産の守護神として近隣より崇敬される」とある。
『紀伊続風土記』によると、口色川村の南11町余、渓水合流の所に「深瀬明神森」があると記し「挺立せる岩壁を祀りて社なし、此所峻峡相迫り、切通しの如し、岩壁其高さ十四五丈許甚雄偉なり、色川郷中の産土神にて京師深草明神を勧請すといひ伝ふ」とあり、小阪村では椙吉神社のほかに産土神として深瀬大明神を信仰しており、かくのごときいい伝えとなったものと思われる。
椙吉神社の鎮座する那智勝浦町大字小阪は「小坂」とも書き、太田川上流左岸の山間部に位置し、室町期から見える地名である。
応永18(1412)年2月晦日の甲斐国旦那去渡状に「三貫文小坂二浄忠之三郎殿沙汰申」とある。
また享徳4(1457)年5月15日の旦那売渡券に「売主 色川小坂 三郎左衛門」とある。
村の東10町許り平野村境に「貝吹森」があり、『続風土記』に「昔色川を責むる者ある時此所にて遠見をなし、貝を吹きて、郷中村々に告けしより名とす」とあり、色川郷中に敵軍の侵入を貝を吹いて知らせた所があった。
明治元年には戸数34、男98名、女91名、明治24年には戸数40、男126名、女121名とある。
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