和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

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和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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蛭子神社(森浦)

蛭子神社(森浦) えびすじんじゃ

  • 盒供\擬
  • 〒649-5172
    東牟婁郡太地町森浦139
  • 0735-52-1646(八幡神社勝浦)
  • 事代主神

10月17日(10月第3日曜日)

お弓祭(1月8日)

本殿(木造流造 19,8屐 社務所(木造 22,5屐 鳥居(石造八幡鳥居)

938屐ゞ内山林5,280

太地町森浦

当社に現存する社殿棟札には「文化十三(1816)年寅九月」とあるので、少なくとも文化年代よりはるかに昔から、生産の神さま、特に漁業の神さまとして近隣の人々の信仰が厚かったということが伺われる。
現在「森浦地区住民の氏神さま」として祀られ、崇められている。
『紀伊続風土記』によると、太地町森浦は那智荘の森浦村にあたり、「大田荘市屋村の東十九町許にあり、一小海湾なり、村の艮三町に元浦といふ所あり、村居旧其地にあり、元浦に糟森といふ山あり、村名是より起れり」とある。
村内に「小祠一社」「小堂一宇」あり、この小祠1社が蛭子神社であろう。
与根川河口の沖積地に位置し、森浦湾に面し、太地との境の旦那山(城山)に泰地氏の頼子城があったと伝える。
近世の森浦村は、太田組に所属し、村高は『慶長検地高目録』で53石、『天保郷帳』『旧高旧領』とも62石、浅野忠吉領時代では高53石余、家数11軒であった。
文政元(1818)年の『森浦村郷帳』によれば、村高53石余、田畑反別田3町4反余、畑6反余、家数20軒、人数132名、船数7、網数6であった。
(『太地町史』より)
半農半漁の性格を持ち、水主役を負担する浦方とされた。
明治4年新宮縣を経て和歌山縣に所属、明治6年には、戸数38戸、男102名、女98名であった。
明治12年東牟婁郡に属し、明治22年太地村の大字となった。
明治24年には、東西16町、南北14町、戸数42戸、男120名、女127名、小船16であった。
大正14年からは、太地町の大字となる。
森浦の面する森浦湾は、湾口から湾央にかけてくびれ、湾奥の森浦は袋状になっており、湾底は粘土混じりの砂礫質で碇のかかり良い上に、三方を山に囲まれている為、天候の悪い時でも波が静かである。
帆船時代には、太平洋における屈指の良港として、台風襲来時期には熊野灘を航行する大小の避難船が100隻を超えて湾内を埋め、帆柱が林立したという。

写真情報

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